【宗教とタントラ】
タントラ(Tantra)自体は本来宗教とは無関係です。と言うよりは、元々実践されていたものが後になってチベット仏教、道教、そして密教などに採り入れられて宗教色を帯びたものだと考えられます。
セックスをしていて「うーん、これは気持ちいいな、まさに神の域に達するほどの快感だな」と感じたのが最初であるに違いありません。「神の域に達するためにセックスをしてみようかな」と考えて男女が和合した、と考えるのには無理があります。
ですから、タントラは坊主がコケ脅しの袈裟(けさ)などで身を飾り立てて怪しげな呪文を唱える、といった性質のものではありません。
純粋に生きる喜び、異性と和合する喜びを工夫したものがタントラの秘技と呼べる性技の根幹です。
やれ「大日如来を本尊とする」、とか「シヴァ神と女神カーリーがどうちゃら」とかは本来のタントラの考え方とは無関係です。
タントラが宗教に採り入れられて約束事が増えるにつれてタントラの自由な精神が少しずつ窒息させられて変質してしまったようです。神秘性を高めて宗教色を濃くする過程においてタントラは教義の様相を帯びてきます。
しかしタントラがチベット、蒙古、日本、朝鮮、そして日本の宗教に与えた影響は大であり、それはそれで興味深いものがあります。
「セックスを通して神の域に通じる幸福感を実現する」という姿勢は有無を言わせない説得力をもっていまだに人々を魅了し続けます。
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本来のタントラとはセックスの快楽を貪欲なまでに追求する民間伝承でした。タントラが宗教に持ち込まれる過程において色々な約束事や諸々の神様などが登場するようになりました。 |
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